お茶の話

仙薬としてのお茶

 

 

その昔、仙人たちは仙薬の一つとして、お茶を飲んでいました。

 

神仙に出会うための妙薬として、重用されていました。

岩茶は中国・福建省にある武夷山という山系でとれるお茶のことです。

 

武夷山は「武」と「夷」という兄弟の仙人によって拓かれたとされる山で、砂礫岩でできた比較的低い丘陵や山が広がり、赤く切り立った崖や柱のような峰が多く、その間をめぐる渓谷ともども「武夷仙境」「奇秀甲東南」と称えられてきました。

 

この山には昔から仙人が住んでいたと言われています。

 

仙人の使う練丹術の一つとして、お茶(岩茶)がありました。

 

岩茶とは、武夷山の岩肌に根を下ろし、岩に含まれるミネラルを吸収して育った、生命エネルギーあふれるお茶です。

 

 

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日本茶(煎茶)の歴史

日本のお茶の歴史は大陸との文化交流の歴史でもあります。

 

 

≪奈良時代 ~団茶(だんちゃ)・餅茶(へいちゃ)~

 

 

最初に日本へ伝わったお茶は、遣唐使が唐から持ち帰ったものでした。

(諸説あります)

 

805年、最澄が唐から持ち帰ったお茶の種子を近江坂本(滋賀県)の日吉神社に植えたという記録があり(『日吉社神道秘密記』)、さらに『日本後記』には、815年に「嵯峨天皇に大僧都(だいそうず)永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉った」とあります。

 

 

お茶といっても、当時のお茶は急須を使って入れるような形ではなく、茶碾(ちゃてん)という道具を使って粉々にしたものを、鍋で煮出していたようです。

 

 

この頃のお茶は非常に貴重で、僧侶や貴族など限られた人々だけが口にできるものでした。その後、遣唐使の廃止とともに、喫茶文化は一時期、停滞します。

≪鎌倉時代~ ~点茶~ ≫

 

 

唐の時代にはお茶は王侯貴族の飲み物でしたが、宋の時代には庶民にも広がっていました。

 

日本では鎌倉時代に臨済宗の開祖・栄西(えいさい)が、中国・宋から、多くの経典とともに、茶の苗を日本へ持ち帰りました。

 

鎌倉時代には、奈良時代の餅茶のようにお茶を煮出して飲む方法から転じて、「抹茶法」と呼ばれる飲み方が主流になっていました。

 

「碾」という薬研や臼を使って茶を細かく砕き、沸騰した湯の中に入れてかき混ぜて飲むのですが、禅僧たちの間で「修行中に襲ってくる睡魔を抑え、精神が集中できる」ということで、禅宗の布教と共に広く普及したと言われています。

 

 

栄西は、茶の種類や抹茶の製法、身体を壮健にする喫茶の効用が説かれた「喫茶養生記」を残しました。

 

室町時代に入り、村田珠光(むらたじゅこう)、武野紹鷗(たけのじょうおう)、千利休(せんのりきゅう)らによって現在まで残る茶道(抹茶)の形に完成されます。

村田珠光
村田珠光
武野紹鴎
武野紹鴎
千利休
千利休

 

江戸時代 ~煎茶(淹茶 えんちゃ)≫

 

1654年、中国・福建省から渡来した隠元(いんげん)禅師が伝えた淹茶(だしちゃ/えんちゃ)法は、釜炒りした茶葉に熱湯を注いでしばらく待つという方法でした。

 

手間をかけず、簡単にお茶を飲めるこの方法は急速に広まります。そして、茶の湯と禅宗の堕落に対する批判を背景に、自由な気風で煎茶を飲み清談を交わす「煎茶趣味」が江戸文人の間に流行しました。

 

その後、煎茶の中興の祖と呼ばれる売茶翁によって、煎茶が江戸庶民の間にも広がっていきました。

隠元隆琦
隠元隆琦
売茶翁
売茶翁
煎茶道
煎茶道

 

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メディア掲載

「あまから手帖」2014年10月号に掲載されました

「大阪眺めのいい店」 2015年07月15日発売号に掲載されました

「あまから手帖」2015年9月号に掲載されました